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がんばらない毎日


by camitiyo
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7日目(モスタル)

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洋食の朝ごはん、飽きて来ちゃったな~

今日は、ボスニア・ヘルツェゴビナに行きます。ボスニア・ヘルツェゴビナですよ!
ボスニア・ヘルツェゴビナといえば、コソボと並んで最も紛争のひどかったイメージのある国ですよね。ところで、今回、私たちが申し込んだこのツアーの他に、もう一つ検討していたツアーがあって、本当はそっちに行きたかったんだけど、直前まで人数が集まらず断念しました。そのツアーにはミュンヘンとザルツブルク観光が入っていないかわりにサラエボとベオグラードが入ってました。全日空でいくこちらのツアーのほうが人気があるのはわかりますが、私としては、個人で行きにくい(だろう)サラエボとベオグラードにも行ってみたかったんですけどねぇ。

今日も添乗員さんが資料をくれました。旧ユーゴ時代の地図。そして、同じスラブ民族同士がどうしてあのような悲惨な紛争をおこしたかを説明してくれたんだけど、同じようにちゃんと説明できないな~。でも忘れちゃうから一応さっくりとやってみよう。

そもそも、旧ユーゴの国の人たちは、人種も同じならしゃべる言葉もほとんど一緒。東京と大阪の違いほどもない。

第一次世界大戦が終了後、それまでオーストリア・ハンガリー帝国に支配されていたスラブ人達が自分たちスラブ人の国を作ろうとユーゴスラビア王国(スラブ人の国)を作った。

しかし一番人数の多いセルビア人中心の国政だったため、他の民族に不満がたまる。

第二次世界大戦がはじまり、ヒットラーはユーゴ国内の仲が悪いのにつけこんで、クロアチア主導の政権を約束しクロアチアを支援し、ナチスの傀儡政権を作る。その際、ナチスがユダヤ人にしたのと同じことをクロアチアでやった。つまり、セルビア人を強制収容所に集めて大虐殺をした。そしてそれを同じ民族のクロアチア人にやらせた。

ナチスに反抗する「チェトニック」というグループができたが、セルビア人中心だったため、ナチスだけでなくクロアチア人をも標的にしていた。それとは別の組織「パルチザン」という組織は、いろいろな民族を合わせたグループで、パルチザンはユーゴの解放に成功した。

パルチザンのリーダーだったチトーが大統領となりユーゴスラビア連邦を作った。このチトーが治めていた間だけが唯一ユーゴスラビア連邦といえる時期。(そして平和な時期)

チトーがいなくなり、ソ連や東西ドイツが崩壊すると、それぞれの国の格差から不満が噴出。一番最初のスロベニアはその経済力と軍事力であっさりと独立を勝ち取るも、それ以外の国は全部もめもめ。

添乗員さんがくれた地図と同じのなかったから似たようなのググった↓
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凡例がないけど、見るからにスロベニアには一つの民族(スロベニア人)しか住んでいないというのも、独立がうまくいった大きな理由の一つ。

そしてボスニア・ヘルツェゴビナのカラフルさは、いかにも多様な民族が入り混じっているということですよね。でも平和なときは、宗教が違っても別に仲良く暮らしてたはずなのに、とたんに自分はOO民族だと言い出すところが、99%単一民族のわれわれとしてはなかなか理解が難しいです。

と言ってる間にバスはボスニア・ヘルツェゴビナへ。国境ではパスポートチェックがあるということで、停止するも、バスに乗り込んできた国境警備員が「全員日本人?んじゃ行っていいよ。」で終了。なんじゃそら~!?日本のパスポートが高く売れるわけわかるよね~。
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ボスニアに入ってほとんどずっと田舎道だったけど、初めての町がモスタル。大きい道路沿いの建物が銃弾でぼこぼこ。バスを降りて旧市街に向かう途中の建物も紛争の痕が残っているが、中にはわざと残してあるものもあるそう。
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観光前に昼食。ここモスタルはトルコに長く支配されていたため、トルコ色が強いそうで、この料理の名前もチェバブチチ。(シシケバブに
名前が酷似)。右側のパンのようなものに、挟んで食べるもよし、そのまま食べるもよし。

ここで店内に飾ってあったカレンダーを見つけた添乗員さんが店員さんに持ってきてもらいました。なんとチトー大統領のカレンダー。チトー大統領はいまでもヒーローで、トルコのアタチュルクくらいの人気を誇ってるそうです。

今日は雨が降っているのに、しげちゃんが傘をスーツケースに入れてしまったので、私が100均のレインコートを着る羽目に・・・・。結果、カメラをしげちゃんに預けたものの、ぜんぜんちゃんと撮ってくれなかったので、以下は私のiPhoneちゃんの画像でお楽しみください。(いやマジで着膨れした私の意味ない写真ばっかなんスよ・・・)
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世界遺産の石橋。モスタルは「橋の番人」という意味。
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橋から見た風景。美しい。

紛争の時、この石橋は破壊された。橋の麓の建物で、紛争中の様子、まさに橋が落ちるその瞬間の映像を見ることができる。それはもう衝撃的だった・・・。まったくもって無知な私は、石橋のような固い建造物を破壊するなら、上からミサイルを落とすか、バズーカ砲みたいなので砲撃するというイメージだったけど、映画とかで見るレーザーの赤い光があたったとは思ったら石橋が崩れていったんですよ。もの寂しい音楽に合わせて流れる本当の戦争の様子は、衝撃的といわずしてなんでしょうか。
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紛争の当事者たちはみんな、後悔してるそうで、数か所でこの石碑をみつけました。

ボスニア紛争が終わってそんなに立ってないので、ガイドさんの中には自分が参加した人もいたそうです。添乗員さんが前に会ったガイドさんは、その当時は家族を守るために戦わなければいけないと思って銃をとったけど、今はなぜ逃げなかったのか後悔しているということでした。

当時はマスコミが流す相手方が攻撃するという情報に踊らされて、それぞれが自分を守るために戦ったそうです。それまで隣人として仲良くしてきた人たちとも、違う民族というだけで殺し合い・・・。
ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のオシム監督のマスコミ嫌いは、これが原因だそうです。

この後、再びクロアチアに入り、一路コレニツァへ北上。添乗員さんが延々とオシム語録を読み上げてる間に寝ちゃいました。この旅、人が変わったようなしげちゃんが、何と!4冊目の池井戸潤に突入。いったい全体どうしちゃったんでしょうねぇ。新生しげちゃん!
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途中、高速道路に入ろうとしたところで、強風のために入れず。3日前は雪で今日は強風・・・。クロアチアの高速道路、弱いなぁ・・・・。インター近くのドライブインでトイレ休憩。。。。。のはずが、何時にバスが出られるかわからないという話。なぁ~にぃ~、ここに泊まり~?仕方ないので、皆でビール飲んだり、持ってたお菓子食べたりしてくつろいでたら、30分くらいで出られるよ~という話に。いやぁ、野宿かと思ったね。
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9時半過ぎにホテル「マコーラ」に到着。晩御飯はポークソテー。
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デザートにサーターアンダギーのようなものが出てきたけど、この時間にこれは食べられないよぅ。ごめんね。
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ピーターラビット(本物)。なかなか強烈な剥製がいくつもあるホテルでした。
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何故かまたしても3ベッドルーム。私の下調べではイマイチかな~と思ってたけど、Wifiも繋がってたし、床が木製で意外と快適なホテルでした。

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ランチのワイン 40kn (680円)
スナック菓子 11kn (187円)
ビール&ジュース 24kn (408円)

ほとんどお金使わなかったね。
by camitiyo | 2013-01-17 18:00 | クロアチア