3日目②(ポストイナ鍾乳洞)
2013年 01月 13日
閉所恐怖症のしげちゃんは、洞窟なんて嫌だといっていたんだけど、すごいらしいということを聞いてなんか行けそうな気がしてきたらしく、参加。良かった~。
受け付けで、日本語のイヤホンガイドを受け取りました。
中は撮影禁止なので、写真はないですが、すごかった!
正直言って、山口県出身の私は秋芳洞も何度となく行ったし、そもそも鍾乳洞にもそんなに興味もなかったんですが、想像していたのと規模が全然違いました。
レースのカーテンのようなものやスパゲッティのような、みたことがないような鍾乳石もたくさんあり、来れてよかったね~。
随分前からある観光地で、オーストリア・ハンガリー帝国時代、フランツ・ヨーゼフⅠ世が観光に訪れたときに電気が通ったそうです。日本では「八重の桜」の頃でしょうか?(←見ることにした)。ヨーロッパに来るたびに思うんだけど、もうちょっと歴史のことを勉強しなきゃ・・・・。
私たちは最初、英語のグループと一緒に回ってて、途中からイタリア語のグループにくっついてたんだけど、写真を撮ってる外人がいて「ったく民度が低いな~」と思ってたら、うちのチームの名古屋声でかおじさんも撮ってました。まあ、やりそうといえばやりそうな人ですがね。
ポストイナ鍾乳洞のWebsite(英語)
今回はバスの移動がすんごく多くて、私は寝てることが多いんだけど、若い割にベテランの添乗員さんがこの辺りのことに詳しくて話が面白いんですよ。旧ユーゴのことって全く知らなかったし、いつもは旅行前に調べたりするものの今回は何を読んで(観て)いいかもわからず、ノーガードで来てしまった・・・。
なので、添乗員さんから聞いた話をここに書くけど、半分寝てたりするから、間違ってるかも。間違ってたらごめんね。
旧ユーゴはどの国も他の大国に支配されていた時期が長い国で、中でもスロベニアはオーストリアやオーストリア・ハンガリー帝国の一部でほとんどがカトリック。旧ユーゴの中でも他の国と比べて裕福だったため、ユーゴから独立するときも、まったく反対がなかった。スロベニアに済むのはほとんどがスロベニア人で、別の国の人も自国に住んでるときよりもいい暮らしをしていたため反対しなかった。独立を阻止しようとセビリアが攻めてきたが、軍備もばっちりだったので数日間で追い払い、戦争被害はほとんどない。旧ユーゴの中ではドイツ人に気質が似ていて勤勉。海岸線は45kmしかない、ということでした。
1時間くらい移動して、クロアチア入国~。といっても寝てて全然気付かなかった・・・・。なんかパスポートを集めてスタンプを押して返してくれたらしい。後で見ても、スロベニア(ユーロ)から出たスタンプはあるのに、クロアチアの入国スタンプが見当たらない~。車のときは押してくれないんだろうか。寂しい~。
Wifiは繋がっておらず、ロビーに有料のPCがあるだけでした。ネット環境はここが最悪でしたね。
夕食はホテルでブッフェでした。なんか魅力的なものはあまりなく、写真も撮ってないという・・・・。
合い席は、お昼も一緒だった1人参加の男の人と、ちびまるこちゃんのおじいちゃんの友蔵の友達の中野さん(長いっ!)に似てるこちらも1人参加の男の人でした。
なんか全体的に疲れたのか、料理がいまいちだったのか、みんなあっさり食べて部屋に戻りました。
小銭にはそれぞれ熊と鳥と魚の絵が書いてあって、うらには数字とテンのイラスト。中世にテンの毛皮が貿易に使われてたからだそうです。
クロアチアはユーロに加入しようとしていたけど、ここのところのユーロ危機で保留になっているそうな。ユーロになったら、このお金なくなるんだね。とっとけばよかった。(使い切った)